電気を音に変えるのだ!!

鍵盤のこと、特にオルガンについてあれこれと。

コレジャナイ感の無間地獄から這い出るには

はい、すっかりご無沙汰しております。

2018年4月から続けておりました糖質制限を軸にした肉体改造は、体重6kg減の体脂肪率12%減でひと段落です。今は、懸垂をできるようになりたすぎてひたすら鍛錬しております。昨日は側腹部メインのメニューを頑張ったので、腹斜筋群と広背筋下部および脊柱起立筋あたりの筋肉痛が心地よいです。いい塩梅です。ブラジキニンカモーン。

さて。

肉体改造の傍ら、電気を音に変える試みは粛々と進めておりました。ハモンドオルガンを弾き、ピアノでハノンを弾き、エレクトリックガジェッツをぽちぽちして4つ打ちトラックを作りまくっていたわけです。あ、ピアノは電気関係ないですね。でもうちのは電子ピアノだからセーフ。

おかげさまでオルガンの演奏をさせて頂く機会が結構あります。そして11月にはなんと不肖わたくし、オルガンの発表会など出させて頂きますので、現在鋭意色々練習しています。

しかし、どうも何かがうまくいかない。

何がうまくいかないかというと、はいアドリブどうぞ、となった時、全く!全く!弾けないのです。アドリブが苦手なのは前からなんですけど、なんかとても悪化しています。

両手で鍵盤を弾くことがうまくない、という技術的な問題なのかもしれないけれど、いや、だって今まで何かは弾けていたような。

いつからこんな感じになっていったか、と、フニャフニャと朧気に記憶を辿りますと、そういえば、何かを弾くたびにコレジャナイ感を強烈に感じて、繰り返し繰り返し自分にダメを出しながら練習をしていた時期がありました。意図してなかったけど、陰性強化する練習法だったのですね。

コレジャナイ
コレジャナイ
コレジャナイ

コレジャナイ感は際限なく湧いてきます。コレジャナイ感はいつしかあって当たり前のもの、もしくは無意識的に探しに行ってしまうものと化してしまっています。あれもこれもコレジャナイ、から、やっぱりコレジャナイ、そしてコレジャナイっぽいからできない、というフェイズに至り、立派な陰性強化サイクルが堂々完成ですね。

いっそここまでコレジャナイ感に浸ってるのはあまりなかったし、せっかくなので、もう少しコレジャナイ感を分解してみたら、解決策も見いだせるのではなかろうかと。前向き前向き。

はい。

どうやらコレジャナイ感をもたらすのは「こんなはずじゃなかった」というもどかしさのようです。
このこんなはずじゃなかったというもどかしさは、「私はもっと弾けるはずだ」という傲岸不遜なプライドに基づきます。
ならば、弾けるとはどういうことか、というと、指が早く動く、曲にあったカッコいいフレーズを繰り出せる、リズムがいい、などです、多分。
その、早い、カッコいい、いいリズム、というのはどのレベルのことを思い浮かべているのかというと、ブーニンのような天衣無縫のスタイルとか、グラントグリーンのタイトなリズムとか、なんかもう弾く姿が直視できないくらいエロかっこいいニールエヴァンスとか、そういうやつです。

いやいやいやいや、何をいってるんだと。
おこがましいにもほどがあろう。彼らは天上人ですよ。目指すのは勝手だが、そうなれないからと言ってあたしはダメなやつだ弾けないやつだとダメだししまくってるのは、まったくもって益なし。どころかむしろ有害。
結局、コレジャナイ感は無駄に高い自意識の裏返しなわけです、恥ずかしい。本当に恥ずかしい。

あれ。と、ここで、はたと気づきます。
これって、お師匠様達が繰り返し伝えて下さろうとしていたことではなかったか。しかも、かなり初期の段階から。
わかったつもりだったけど、ぜんぜんわかってなかったんですね、結局。先生方、不出来な生徒ですみません…

そんな折、ジャズピアノのお師匠様には、もがいたらいいんですよと。そんな風に苦しめるのは案外しあわせなことかもしれませんよ、鍵盤を弾けることを前提にした悩みですし、とのお言葉を頂きました。
そして、オルガンのお師匠様は、そういう状況から見出したり捻り出したヒントは、たとえそれが拙い形であっても伝わるし、それはその人の血となり肉となり骨となるものですよ、と(意訳)。

じゃぁ具体的にどうしようかというプランはないのですけど、師匠様方がご提案くださった、練習の記録、例えばブログとかを毎日残して行ったらいいんじゃないか?てのと、音源を深く聴き込む、てのをやってみよかな、と思います。

弾きたい曲があり、弾ける楽器があり、お手本が無限にあって、一緒に弾いてくれる人がいて、それを聴いて下さる方がいる、ということがすでに有難い。しかもその道に先んじている先輩諸氏がこんなに近くに。
まずはそこから。